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【癒着胎盤】と私達夫婦の闘い

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どうも、横伊勢 樂(よこいせ らく)です。(^.^)

 

今回のはてなブログのお題は「迷い」と「決断」です。

そこでこの記事では、先日、私と妻が体験した【癒着胎盤について書きたいと思います。

 

目次

 

 

はじめに

 

この【癒着胎盤という病気は、

妊婦さんの1万人に一人、2万人に一人という、

とても稀な症状なので、参考になる方は少ないでしょうが、

万が一、この【癒着胎盤という症状と戦われている方がいれば、

この記事が少しでも参考になれば幸いです。

どうか負けないでください。

どうか信じ抜いてください。

どうか最後まで闘い抜いてください。

 

 

 

癒着胎盤とは

 

(以下wiki参照)

 

癒着胎盤(ゆちゃくたいばん)とは、妊娠・出産の際に発生する合併症の1つであり、胎盤が母体の子宮に癒着して剥離が困難となる疾患です。

 

出産の際に児が娩出された後、

正常分娩であれば胎盤が子宮から剥離して娩出されますが、

何らかの理由により胎盤の絨毛組織が母体子宮の筋層に侵入していた場合、

胎盤が子宮から剥離せず、

積極的な医療的介入を行わない限り出産の進行が不可能となります。

 

頻度

癒着胎盤の発生頻度は約0.01%(出産1万件に1件)であり、非常に稀な疾患です。

 

事前診断の可否

本疾患を分娩以前に診断することは不可能です。

分娩後に胎盤の遺残があり、

胎盤娩出促進手技を行っても剥離する兆候が見られない場合、

臨床的に癒着胎盤が疑われます。

確定診断は、摘出した子宮もしくは胎盤の病理的検討のみにより可能です。

 

問題点

癒着した胎盤を用手的に剥離する際に大出血を来たし、

それに続発する出血性ショックや播種性血管内凝固症候群により、

母体死亡の原因となります。

稀な疾患ではありますが、母体死亡全体に占める癒着胎盤の割合は約3%(母体死亡33件に1件)と少なくなく、産科的に重要な疾患です。

 

 

 

私と妻の体験談

 

 不妊治療期

私達夫婦は不妊治療を1年半ほど重ね、体外受精という方法で妊娠しました。

不妊治療をしたのは1年半ほどですが、不妊治療を始めるまで長年【子づくり】に励んできました。

 

不妊治療を始めたきっかけは、妻の年齢が34歳になった事でした。

妊娠の確率も危険性も35歳あたりを境にぐんっと悪くなる事を知っていたからです。

 それまで、私達の合言葉は『子供がいる生活も幸せだし、子供がいない生活も幸せだよね』でした。 

本当にそう思ってはいましたが、自分達に言い聞かせていた言葉でもありました。

 

不妊治療を始めた頃に、私達が考えたのは、

『後悔しないうちに出来る限りの事をしておこう』でした。

 

不妊治療を始める前の私達は、不妊治療に対して色々と疑問がありました。

「しんどい思いをしてまで、そこまでするべきか?」

「お金もたくさんかかるし。。」

「自由な時間も減るじゃない。」

「赤ちゃんは授かりものだし。。。」

「自然の成り行きに任せるべきじゃないの?。。」

 

 

しかし、妻の35歳という節目に、重い足取りがようやく動き始めました。

『後悔したくない。怖いけど、出来る限りの事がしたい。やっぱり自分達の赤ちゃんに会いたいよ!!』と。

 

私達は自分達の正直な気持ちを隠そうとしていたのですね。

本当は赤ちゃんが欲しいのに、いくら頑張っても出来ないから、赤ちゃんがいない暮らしも幸せだって、自分達に言い聞かせていたのです。

 

妻が35歳になった誕生日に、夫婦そろって、不妊治療のクリニックを訪問しました。

 そこから1年半をかけ、子宮のポリープを除去したり、【人工受精】を行いました。

【人工授精】は10回程行うも授かりませんでした。。

しかし、最後の望みをかけた体外受精にて授かる事が出来ました。

妻から「授かったかもしれない」と言われた時は、どれほど嬉しかったか。

どれほど、二人で喜びあったか。

 

 

妊娠期

妊婦生活は、とても楽しいものでした。

妻がつわりの時は、積極的に家事に参加しました。

妻のつわりが終わると、子供が生まれる前の最後の贅沢という事で、

普段では行けないような、レストランに行ったりしました。

最愛の娘を迎える為に、ベビーグッズを揃えに、二人で買い物へたくさん行きました。

 

ただただ、妻と赤ちゃんが無事に出産まで辿りつき、

無事に会える事を祈るばかりでした。

赤ちゃんを授かる事も、無事に赤ちゃんと会える事も当たり前ではないと知っていましたから。

体外受精という、現代医療に支えられて、やっとここまで来れたのです。

大事に大事に本当に大事に歩んでいこうと思いました。

必ず赤ちゃんに会えると信じて。

 

 

闘いの始まり 日曜 PM10時

そして、遂にその日は来ました。

待ちに待った陣痛が始まったのです。

日曜の午後10時頃。

私が家にいる時でよかった。。

妻が「陣痛きたよ。間隔も十分だから病院に行こう。」と言いました。

微弱な陣痛は日曜の朝から既に来ていましたから、準備は万端です。

荷支度は完璧に整えていましたので、落ち着いて、

入院予定の不妊治療を行っていたクリニックへ、妻を車に乗せて向かいました。

安全運転を第一に、いつも通りのゆったりとしたスピードで、気を付けて運転しました。

真夜中の道路はいつも以上に静かで、それでいて、ひんやりとしていました。

まるでこれから来る、怒涛のような嵐の前夜かのようでした。。。

 

日曜 PM11時

病院に着くと、時間は夜の11時頃。

看護師さんに約40分間、陣痛の間隔と強度を計ってもらい、夜の24時頃に入院予定の部屋へ入室させてもらえました。

 

 

月曜 AM1時~

ここからが長い長い闘いの始まりです。

陣痛の間隔がもっと短く、もっと強くなるまで、待たなければいけないのです。

痛みに耐え続けている妻。

それを見守る事しか出来ない私。

一晩中、痛みにうなり、苦しむ妻を見ているのは本当につらかった。。。

あと何時間、この痛みと闘わなければいけないのか?

気が付けば、窓から差し込む朝日で部屋が薄く明るくなってきました。

一晩中起きているだけでも辛いのに、あんなに痛みにうめきながら。。。

「早く終わってくれ。。妻を痛みから解放してあげてくれ。」

そう心の中で何度叫んだか。。

 

月曜 AM7時

そして、月曜の朝7時。

LDR】という陣痛・分娩・回復期を同じところで過ごせる部屋に移る事が出来ました。

闘いの終わりが近づいて来ました。

そして、痛みも満潮を迎えようとしていました。

 

私はとにかく、出来る限りの力で妻の背中と腰をマッサージしました。

どれだけ、強く指圧しても、痛みを緩和する事は出来ませんでしたが、

ほんの少しの気休めにはなっていたようです。

あんなに、妻の背中の筋肉とすじが強張ったところを見た事も感じた事もありませんでした。

妻のうめき声からも痛みは想像を絶していましたが、

筋肉と筋の強烈な強張りからも痛みが尋常ではない事が伝わりました。

「こんな大仕事をやってのけている妻は本当にすごい。。

あと少しだから頑張って。。お腹の中の赤ちゃんも頑張って。。。」と心の中で何度も思いました。

死ぬほど頑張っている人に頑張れとは言えないので、

私が実際にかけた言葉は「大丈夫!大丈夫!あと少しだからね!!」だったと思います。 

 

月曜 AM9時 出産そして本当の闘いへ

そして遂に、

助産師さんが主治医の先生を呼んで来てくれました。

新たな命の誕生がすぐそこまで来たのです。

弱りかけていた妻も、最後の力を振り絞り、ありたっけの力でいきみました。

いきみ方がとても上手だったらしく、すぐに頭が見えてきました。

しかし、赤ちゃんの心拍数が80を切り始めたので、

先生が吸引分娩にすぐに切り替えてくれ、

赤ちゃんを無事に取り上げる事が出来ました。

朝の9時頃です。

LDRに入ってから約2時間でした。

 

元気な赤ちゃんです。

取り上げられてすぐに泣き始め、私も周りも一安心。

妻も私も喜びを噛み締めました。

私は妻に「本当によくやったよ。すごいよ。本当にありがとう。」と声をかけました。

 

私はすぐに看護師さんに連れられ、赤ちゃんの体重を計りに行きました。

赤ちゃんの体重は2700グラムでした。

実は、赤ちゃんが母体にいる時から、2500グラムで成長が止まってしまっていると言われていたので、200グラムも増えていてくれて、とても嬉しかった事を覚えています。

そして、赤ちゃんと妻と私とで一緒に写真を撮影してもらい、、、、

 

と、その時でした。

今まで、無事に出産し、安産ムードできていたのが一転、、、、

 

「ご主人、ご説明があります。」と主治医の先生が私に深刻な顏で伝えにきました。

 

 

「もうすぐ産後30分経ちますが、奥さんの胎盤が出てきません。

出てくる気配もしないです。

【癒着胎盤の可能性があります。

癒着胎盤はこのクリニックでは対応出来ないので、万が一の事に備え、

今から救急車で、大学病院で検査とオペをしましょう。」と、先生が私に説明して下さいました。

 

「今から!?」

私は唐突の事で、何が起きているのかあまり理解出来ていませんでした。

「癒着胎盤? なにそれ?どういう事?救急車?今から?やばいって事???」

分娩台で仰向けになっている妻は意識がしっかりしており、痛み止めの麻酔のせいで、痛みも感じず、平気そうな顔をしています。

 

しかし、妻からは死角になっている、妻の股下には、妻が出したおびただしい量の血がありました。出血が止まらないのです。。。

 

私は状況が飲み込めず、しかし、妻を不安にさせまいと、少しでも気丈に冷静に振舞おうとしました。

看護師さんや助産師さんにうながされ、救急隊が来るまで、急いで荷物をまとめ、

救急車に妻と一緒に乗り込みました。

救急車が来るのは本当に速かったです。

病院に待機していたのでは?と思う程でした。

 

救急車で大学病院に向かう途中、救急車の進みがかなり遅くなりました。

普段ならすいている道が、 工事の為、片側通行になっていたのです。

多くのドライバーの方々が少しでも横へ横へと車を寄せてくれるのですが、

救急車が通れる幅が確保出来るまで、時間がかかったと思います。

とてもじれったく、周りの車を移動させられる怪力がどれほど欲しかったか。。

 

救急車の中で妻の顏色がどんどんと悪くなっていくのがわかりました。

妻はとても冷静で、謙虚に振舞っていました。。。

渋滞中、救急隊の方が妻に「ごめんなさいね。もうすぐ着きますからね。大丈夫ですよ。」と声をかけると、

妻は「大丈夫です。」と笑顔で答えるのです。

しかし、妻の唇はもう真っ白になっていました。

妻の股下にはおびただしい量の血が出ていました。

私はこの時、初めてゾッとしました。

自分が思っていたよりも、事態がかなり深刻である事に気付いたのです。

「お願いだから、早く病院に着いてくれ。。」と私は心の中で叫んでいました。

 

 

月曜 AM10時

 

大学病院の救急につき、救急車から妻が運び出され、

私が入れない部屋へと運ばれて行きます。

私は運ばれて行く妻の隣を小走りで寄り添っていましたが、

妻にかけられた言葉は『大丈夫!』の、このたった一言だけでした。

しかも妻の目を見て言う事が出来なかったのです。

妻の目を見てしまうと涙が溢れだしそうだったのです。

そんな姿を見せて、妻を不安にさせたくなく、

その結果が、目を見ずに『大丈夫!』としか言えなかったのです。

情けなくて情けなくて、自分をぶん殴りたくなりました。

 

救急待合室の雰囲気はとても暗く無機質な感じがして、

混乱もあいまって、まるで別世界に来たかのようでした。

 

「自分はなんでここにいるのだろう?つい先日まで、生まれて来る赤ちゃんを待ち、

夫婦でとっても幸せだったのに。。妻はどうなるのか?あれだけの血を失ってしまっても大丈夫なのか?? 自分が思っている以上に事は深刻なのでは?まさか、これで会えなくなるなんて事はないよな?

赤ちゃんは生まれてすぐにお母さんを失ってしまうのか?

私一人で育てられるのか?仕事をしながら?

いやいや、しっかりしなければ。まだ状況は全然わかっていない。

想像すればするほど、最悪のケースばかりを考えてしまう。。

そもそも、自分が持っている情報量も少なすぎる。。

まずは何をすれば良いのか?

家族に連絡か。。。自分の家族LINEに妻が緊急搬送された旨を連絡と。。

妻のお母さんは、分娩の時に私と一緒に立ち会ってくれていたから、

救急車の後を追ってここに向かって来てくれてるから、待つとして、、、

そもそも、胎盤癒着って何。ネットで調べてみるか。。。 」

 

こんな状況で一人で待っていてもろくな事がなく、

私のネガティブ思考に拍車をかけたのは、【癒着胎盤】について、

ネットで調べてしまった事でした。

本当に調べなければ良かったと思います。。。

ネガティブ思考の状態で、この癒着胎盤を調べると、

ネット記事の『癒着胎盤は大量出血で死に至る可能性がある』という文字列が、

強烈に脳みそにインプットされてしまいました。

 

「まさかな。まさか、妻が死ぬなんて事はありえないだろう。。

そんなの絶対に嫌だ。なんとかしてくれ。お願いだから救って下さい。

お願いします。。。。」

そう考えているところに、主治医となる女医さんが説明に来て下さいました。

 

正直、この時に説明して下さった内容はあまり覚えていません。

とても丁寧に私の心境を気遣い、説明して下さっていましたが。。

 

私が女医さんの説明で覚えている事は、

①とにかく輸血が必要だという事。だから輸血を開始するという事。

②詳しいエコーが必要だという事。

放射線をして出血量をおさえるという事。

 

混乱しながらも、これら3点はスマホにメモ書きしました。

 

(③の放射線とは、【経力カテーテル動脈塞栓術】というもので、

 放射線で血流に栓をして血流をおさえ大量出血をなくす作用がある術式です。)

 

「素人が考えてもわからない。とにかく、医療のプロにまかせるしかない。

信じる事しか出来ない」と思いました。

 

女医さんが立ち去った後に、妻のお母さんが救急待合室に駆けつけて下さいました。

私は妻のお母さんに、さっきメモ書きした旨を伝えました。

妻のお母さんは、落ち着いていて、どれだけ渋滞に巻き込まれたかなどを、努めて明るく話してくれました。本当は胸が張り裂けそうに心配していたはずなのに。。

 

私も一人ではなくなり、徐々に落ち着き始めました。

手術と検査の待ち時間がとても長く、救急車で妻が大学病院に運ばれてから6時間程経って、ようやく、高度救命センターICUの一室で初めて会う事が出来ました。

 

 

月曜 PM3時

ICUにて、妻にまた会う事が出来た。

とてもつらそうだけど。また会う事が出来た。

まずは、ようやく一安心。

私と妻は、お互いに泣きながら、話しました。

 

妻は「体が冷たくなっていき、震えがとまらなくなったの。本当に死ぬかと思ったよ。

心配かけてごめんね。。。」と私に言いました。

 

「謝る事なんて何一つないよ!!生きていてくれて本当に良かった。」と私は、

涙ながらに妻に言いました。

 

遠方からの私の家族も続々と駆け付けてくれました。

本当に心強かった。一人では耐える事はとても出来なかったと思います。

すぐに駆けつけてくれた家族には本当に感謝しています。。。

 

そして、家族皆でICUの集中治療室で談話をしていると、

女医さんから今回の問題についての説明がされました。

 

①出血は3リットル程あったという事。

②輸血は今後も続けていくという事。

放射線治療をしたが、まだ出血がおさまっていないという事。

④検査の結果、やはり胎盤ががっつりと子宮に癒着してしまっているという事。

 

そして女医さんから、

妻を除いた私達家族に、これからする手術が困難であり危険である旨が説明されました。

 

癒着した胎盤を子宮から剥がすには、

赤ちゃんが生まれてきた産道から、直接手を突っ込み、子宮に癒着している胎盤を手で剥がしていく胎盤用手剥離術】が必要だと説明されました。

しかし、最大の問題は、子宮にへばりつき癒着してしまっている胎盤を剥がす際に、子宮を欠損させてしまい、大量出血で手をつけられなくなってしまう事です。

大量出血を止めるにはお腹を切開して、子宮を全摘出しなければいけないという事でした。

 

この説明を聞いた時に私は、

『子宮全摘出でも良いから、何よりも母体を最優先で救って下さい。』と女医さんに伝えました。

 

女性にとって、子宮がなくなる事はとてもつらい事です。

ホルモンバランスの乱れや、赤ちゃんをもう授かれないという事なのです。

しかし、「命があってなんぼ」 「死ぬ以外は全てかすり傷」という考え方が、真っ先に私の脳裏に浮かび上がりました。

妻を失う事が本当に怖かったのです。生きていてくれたら、他に望むものなんて何もないと思いました。

 

妻にもこの話をしました。

妻も了承してくれ、子宮全摘出を視野に入れ、手術を行う方針となりました。

 

しかし、

出血がまだ抑まっていないという問題がありました。

その為、月曜の22時頃から再度、【経力カテーテル動脈塞栓術】を行う事になりました。

 

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月曜 PM7時

時刻はもう月曜の夜の7時。

日曜の夜10時から怒涛の24時間近く。

不思議な事に疲れはあまり感じていませんでした。

ずっと緊張していたからだと思います。

全然食べていないのに、空腹感はかけらもありませんでした。

 

夜10時から始まる妻の2度目の【経力カテーテル動脈塞栓術】を待つ間、

ICUの家族待合い室で待ちました。

 

ICUには本当に色々な人がいます。

小さな小さな男の子がいたり、

包帯でぐるぐる巻きになっている人がいたり。

どれくらいの病状なのかは、わかりませんが、皆、命の危険と隣り合わせで頑張っているという事だけはわかります。

ICUは本当に眠らない空間です。いつも慌ただしく、命を懸けた戦いが昼夜問わず繰り広げられているのです。

そして、そこに私の妻も入っているのです。。

 

月曜 PM11時半

女医さんが説明に来てくれました。

今回の【経力カテーテル動脈塞栓術】は前回の時よりも多く栓をしたとの事です。

出血が抑えられているかは今夜一日、様子を見て、明日火曜のなるべく早い段階で本来の目的であり、本丸である胎盤用手剥離術】を行うとの事です。

 

私も明日の本丸の手術に備え、一度自宅へ帰り、眠る事にしました。

長い長い月曜が終わりました。

家に着いたのが火曜のAM1時頃。お風呂だけ入り、火曜の朝7時には家を出発し、

大学病院のICUへ向かいました。

 

 

火曜 AM8時

夜中に大学病院から電話もなかった為、心配はしていませんでしたが、

やはり妻の容態は急変しておらず、

どうやら2度目の【経力カテーテル動脈塞栓術】は効果を発揮していたようです。

出血量は大分抑えられており、これでようやく、本丸の胎盤用手剥離術】へ臨む事が出来るようになりました。

 

手術は夕方に行われるとの事です。

ここからが本番です。

この胎盤用手剥離術】の結果のパターンは大きく分けて3通りあります。

 

パターン1

子宮を傷つける事なく、胎盤を子宮から剥がしきる事が出来るのが最大の成功。

 

パターン2

子宮を傷つけない部分だけの胎盤を剥がし、残りの困難な部分は剥がさずにおいておき、経過観察をする選択もあるとの事。しかしこの場合は、剥がしきれなかった部分がどのタイミングで剥離してしまい、大量の出血がいつ起きるかがわからないという大きなリスクがあります。

 

パターン3

胎盤剥離の際に子宮から大量出血してしまい、子宮全摘出で母体を救う。

 

 

 火曜の朝に妻に会った時、妻はいつも通りの振舞いをしていました。

むしろ、いつもより元気で、いつもより強気でした。

一生懸命、強気に気丈に振舞っていたのです。

妻は赤ちゃんを出産してから、一度も赤ちゃんに会えていません。

あんなに苦しい思いをして産んだ愛娘にまだ会えていないのです。

私は、この期間、大学病院のICUと赤ちゃんがいるクリニックを何度も何度も往復していました。

赤ちゃんはママに会えていないので、せめてパパだけでも会いに行ってあげなければなりません。

それに、妻に私達の可愛い愛娘の姿を見せてやりかたったのです。

写真や動画をたくさん撮り、ずっと妻に見せていました。

「こんなに可愛い子が生まれてきたよ。絶対に家族3人で仲良く、ずっと一緒に暮らそうね!」と。。。

 

火曜 PM6時

やがて、長い長い待ち時間が過ぎ、時間は火曜の夕方6時。

いよいよ胎盤用手剥離術】を行う時が来ました。

私は妻にこう言葉をかけました。

「やれる事はやってきたから。あとはもう医療のプロ達に身をゆだねよう。

プロ達を信じよう。絶対に大丈夫だから。頑張っておいで。」と。

今度は、妻の目を見て、力強く言いました。

妻はにっこりと笑顔で答えました。「頑張ってくるね。」と。

 

手術を待つ間、確かに不安はありましたが、月曜のAM10時頃のひとりで、

救急待合室で待っていたときより、はるかに怖れは少なく、絶対に大丈夫だと思っていました。

それは、周りに家族がいてくれて私と妻を支えてくれた事。

そして、今、この時に手術をしてくれている手術チームがとても優秀な人達である事を知っていたからです。

何度も何度も説明を受け、会話を交わし、担当してくれたスタッフの方々、

特に、女医の先生の方々は信頼に溢れ、総じて能力が高く、身をゆだねる事が出来る人達だと確信していました。

だからこそ、私は妻に「絶対に大丈夫だから。頑張っておいで。」と言えたのです。

 

火曜 PM8時

 

女医さんが家族待合室に入ってきました。

手術の内容を説明しに来てくれたのです。

先生の顔色からは手術の結果は判断出来ませんでした。

手術内容と結果の説明は概ね、次のようでした。

「子宮に癒着していた胎盤は無事に剥ぎ取る事が出来ました。

 しかし、まだ完全に剥ぎ取れずに胎盤が残っている可能性もゼロではないので、

経過観察は怠らないようにしましょう。手術は大成功ですよ。」と。

 

本当に良かった。涙が溢れてきました。

これで妻と娘と3人で暮らしていける。。。

これ以上は何も望まない。これ以上は望んではいけない。。。

心底そう思いました。

 

内臓に癒着したものを傷つけずに手で剥がしきるなんてのは本当に神業だと思います。

まさにゴッドハンドでした。

妻の手術をこれとない程の大成功に導いてくれた、医療チームの皆様、特に、

女医の先生の方々には感謝してもしきれないです。

本当にありがとうございました。

まさに命の恩人です。

そして、出産の時に娘を取り上げてくれ、迅速な判断で救急を回してくれた、

クリニックの主治医の先生にも感謝の気持ちでいっぱいです。

 

私達、家族は体外受精という先進医療で命を授かり、

【経力カテーテル動脈塞栓術】胎盤用手剥離術】という現代医学の発展に命を救われました。

 

後日、女医さんからも、今回の妻のケースは、一昔前なら命が助かっていないと言われました。

 

 

火曜日 PM9時

全身麻酔から覚めた妻にようやく会う事が出来ました。

「よく頑張ったね。えらかったね。しんどかったね。。怖かったね。。

本当に良かった。。。どれほど苦しかったか。これで赤ちゃんにも会えるね。

家族3人で暮らせるね。。幸せに暮らしていこうね。。。」私が泣きながらこう言うと、

妻も今まで我慢していた分、涙が止まらなくなり、大きく大きく頷いていました。

 

水曜日 

妻の術後経過は概ね良好でした。

この【胎盤用手剥離術】の良いところは、

胎盤を剥離するやりかたが、赤ちゃんの産道から手を入れて、子宮から剥がして出してくるものなので、術後の患者への負担が、自然分娩の時とほぼ同様なところなのです。その為、妻もみるみる回復していきました。

 

木曜日

大学病院側から、赤ちゃんの移動が認められました。

クリニックにいる赤ちゃんを妻がいる大学病院に移す事が出来たのです。

ようやく妻と赤ちゃんを会わす事が出来ました。

妻が赤ちゃんを抱っこしている姿を見れて本当に良かったです。

涙が溢れてきました。

この奇跡を忘れずに生きていこう。。

この小さく幸せな家庭を絶対に守り抜いていこう。

そう心に強く誓いました。

 

 

 

最後に

 

今回の【癒着胎盤】で妻が流した総出血量は約5リットルです。

多くの輸血に救われました。

たくさんの人に救われて、今の私達家族は暮らしています。

この『有難さ』を忘れる事なく私達は生きていこうと思います。

 

赤ちゃんの命を授かれたのも奇跡。

妻の命が助かったのも奇跡。

失いかけて救われた命です。

赤ちゃんが生まれた日、妻が救われた日。

家族3人で暮らせる日々は、

これからは一日一日がボーナスステージだと思います。

一日一日を噛み締めて、ありがたく、生きていこうと思います。

 

支えてくれた皆様に心から感謝致します。